新潟県新津秋葉区は、2005年に合併される前までは新津市でした。
「西の米原、東の新津」といわれるほど全国に名をはせた、栄えた鉄道の街でした
江戸時代
江戸時代は新発田藩新津組が治める土地でした。
今から約300年ほど前の享保年間に、にいつで定期的に催される市が立つようになりました。
商店街の元祖といえるかもしれませんね。
明治のころ
明治30年に北越本線(現在のJR信越線)が開業します。
これは新潟県では初めての鉄道でした。新津駅もこの年にスタートしています。
その開業1年前には、新津本町で大規模な工事がはじまり、工事関係の多くの人が集まりました。この賑わいを当時の新聞は「新津町は繁盛し金回りがよく活況を呈した」と書いています。
さらに鉄道が開通すると、新津は交通の要所であったため、さらに繁盛します。
鉄道会社は新津に15もの管理部門を設置し、新津駅は重要な拠点になります。
市内の4人に1人が国鉄の仕事についておりましたので、「鉄道の町・新津」と呼ばれました。
旅館業、食堂、弁当販売、お土産販売、生活用品、運送業など駅に関連するさまざまな商売が発展していきます
一方、新津は原油の産地でもありました。明治40年代になると新津油田は日本一の生産量を誇っていました。この原油も鉄道を利用して東京へ運ばれ、さらに日本中へ送られました。
昭和になって
新津は信越線、羽越線、磐越線の3本が交差する鉄道の要所でした。
昭和14年ごろ、中国等への輸送基地となった新潟港への輸送力増強のため、鉄道の車両工場も新津に誘致されることとなり、新津のまちはさらに人口が増えるようになります。
やがて、太平洋戦争が始まりましたが、軍隊の乗り換え駅でもありましたので、軍用での繁盛が続きます。
新津は軍部の弁当の補給基地でしたので、弁当の注文が何万個もあったそうです。
戦後は、GHQの指導のもと、北海道の石炭を日本海新潟経由で関東へ輸送する計画がスタートし、その時代も新津は要所駅として重要な拠点でした。
昭和30年代のにいつ本町通りの写真です。
沢山の商店が軒をつらね、繁栄の様子がよく分かります。
にいつの商店街には、今も営業を続けている店舗が沢山あります。
新津本町には、創業100年を超えるお店が点在しておりますので、新津の商店街にお立ち寄りの際には、それぞれのお店の店主に昔話を尋ねてみてはいかがでしょうか。
今では想像も出来ないような面白い話が、聞けるかもしれません。
もっと詳しく新津の歴史が知りたい!と言う方へ
・商店街に来たらよってね「東洋館ホール」旧新津銀行。昔の写真展示
・中野邸記念館 100年以上を経過した石油王の大邸宅と大庭園
・石油の世界館 入場無料!石油の歴史を学べます
出典
ガイドブック「にいつ街なか歴史ぶら散歩」
発行:新津中央コミュニティ協議会
【企画・編集、執筆者名】
◆事務局/新津中央コミュニティ協議会 ◇企画・編集/ 本田 富義(秋葉区新津本町4-10-7) 吉田 亮一(秋葉区秋葉2丁目1-12) 新保 隆夫(新津中央コミュニティ協議会) 塩田 直美(新津中央コミュニティ協議会) 中村 信也(新津中央コミュニティ協議会) 清野 展(新津中央コミュニティ協議会) ◆解説文執筆/本田 富義 ◇巻末ガイドマップ/吉田 亮一 ◆近影写真撮影/中村 信也